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高松地方裁判所 昭和61年(ヨ)38号 決定 1987年4月09日

債権者 谷本末子

<ほか二名>

右三名代理人弁護士 渡辺光夫

債務者 財団法人高松市水道サービス公社

右代表者理事 鎌田忠

右代理人弁護士 河村正和

同 立野省一

主文

一  債権者らの申請をいずれも却下する。

二  申請費用は債権者らの負担とする。

理由

第一当事者の求めた裁判

一  申請の趣旨

1  債権者らが、債務者に対し、それぞれ雇用契約上の権利を有する地位にあることを仮に定める。

2  債務者は、債権者らに対し、昭和六一年四月以降毎月二五日限り、債権者谷本末子につき金四七万九三六二円、同小川慶子につき金二九万二〇八三円、同国村マサミにつき金二八万九二二四円を、それぞれ仮に支払え。

3  申請費用は債務者の負担とする。

二  申請の趣旨に対する答弁

主文と同旨

第二当裁判所の判断

一  疎明資料によれば、次の事実(当事者間に争いのない事実を含む。)が一応認められる。

1  (債務者について)

債務者は、高松市における水道の円滑な普及と適正かつ合理的な維持管理を行うために必要な事業を行い、もって、高松市水道事業の合理的かつ経済的な運営と市民サービスの向上に寄与することを目的として、昭和四八年五月一七日、高松市の全額出資(五〇〇万円)で設立された財団法人である。

2  (債権者らについて)

(一) 高松市では、従来、その水道事業に伴う水道料金等の集金事務及び水道メーターの検針事務(以下、前者を「集金事務」、後者を「検針事務」といい、両者を一括して「集検事務」という。)をそれぞれ私人に委託して処理する方式がとられていた。債権者谷本及び同小川は、いずれも昭和四四年八月、高松市水道事業管理者(以下、便宜「市水道局」という。)との間で、検針事務委託契約を締結し、委託による検針事務従事者となった。右契約の主たる内容は、右債権者らが市水道局の指定する地域における検針事務を受託し、その処理件数に応じて、検針事務委託手数料(昭和四八年四月一日当時で一件あたり一五円)の支払を受けるというものであった。なお、右のような市水道局と検針事務従事者又は集金事務従事者との間の各事務委託契約には、契約期間が設定されていたが、満了後もその契約は更新されるのが通例であった。

(二) ところで、債務者の設立趣意書中、その設立についての市水道局としてのメリットを述べた部分には、そのメリットの一つとして、集検事務を債務者に委託することにより、個人的私人委託の場合より責任体制がとられ、あわせてその身分の保障を確立することができる旨が指摘されていたところ、立水道局は、債務者が設立されてから約八か月後の昭和四九年一月一日、債務者との間で、集検事務を債務者に委託する旨の契約を締結した。その結果、同日以降は、債務者が市水道局からの直接の受託者として集検事務を行うところとなったが、現実的には、同日以降も、債権者谷本及び同小川を含め、従来から市水道局の委託により集検事務に従事していた者が、ひき続き同事務に従事した。

(三) 右集検事務従事者と債務者との契約関係につき、昭和四九年一月一日時点で、これを明確にするような行為がなされたことはなく、いわば、右従事者と市水道局との従前の契約関係が、そのまま右従事者と債務者との契約関係として移行したにすぎなかった。そのため、債務者から右従事者に対する報酬の支払も、同年の一月分から三月分までは、前記私人委託方式の場合と同様、処理件数に応じて、集金手数料(一件あたり二五円)又は検針事務委託手数料(一件あたり一七円)という名目でなされていた(ただし、集金事務従事者の中には、集金手数料のほかに加算金の支払を受けた者もいた。)。しかし、同年四月一日に至り、集検事務従事者に対し、それらの者が債務者の職員であることを証明する旨の身分証明書が債務者から交付されたほか、同日、右従事者の給与その他の勤務条件を定めた「財団法人高松市水道サービス公社集金検針事務職員勤務規則」(以下「勤務規則」という。)が施行され、右従事者が債務者の職員であることが明確にされた(もっとも、債務者の一般職員については、その設立当初から「財団法人高松市水道サービス公社就業規則」が施行されていたもので、集検事務職員は、その直接の適用を受けない特殊な職員であった。)。

(四) 右のようにして、債権者谷本及び同小川は、昭和四九年四月一日以降、債務者の職員として検針事務に従事していたが、債権者谷本は、集検事務兼務職員制度の実施に伴い、昭和五〇年九月一六日以降、集金事務にも従事するようになった。

(五) 債権者国村は、昭和五三年八月一日、債務者の職員として採用され、検針事務に従事するようになった。

3  (集検事務職員の勤務条件等について)

(一) 勤務規則では、集金事務職員の勤務日は、毎週の土・日曜日と国民の祝日に関する法律による休日以外の日、検針事務職員の勤務日は、毎月一日から二五日までとされ、また、勤務時間は、いずれも九時から一七時までと定められていた。しかし、現実には、債務者の指示に従い、検針事務については毎月一日から一五日まで、集金事務については毎月一六日から翌月一五日までの間に処理しなければならないこと(なお、検針事務については、市水道局と債務者との事務委託契約により、検針を実施すべき定例日が各地区ごとに定められている。)などの制約があるほかは、どのように勤務しようとも各集検事務職員の自由であり、債務者の事務所に出勤するのは、検針事務職員で三ないし四日に一回、集金事務職員で一か月に三ないし四回程度であった(なお、債務者の事務所には、集検事務職員専用の机はなかった。)。したがって、集検事務職員は、本来の勤務時間外に仕事をすることがある反面、勤務時間内でも私用を自由に行うことができた。そればかりか、他人の雇用されることさえも可能で、現に、昭和六一年二月末時点における全集検事務職員二二名のうち八名の者は、長年にわたり、高松市又は観音寺市の競輪開催日に右各市に雇用されて競輪従事員として勤務していた。

(二) 一方、集検事務職員の給与の種類は、基本給及び手当とする旨定められていた(勤務規則二条一項)ところ、基本給には定期昇給制度がなく、また、その額は、勤務年数とは無関係に全員同額(昭和六一年二月時点で六万九六〇〇円。ただし、集検事務兼務職員は、一三万六五〇〇円)とされていた。右基本給の額は、基準件数(集金事務で九〇〇件、検針事務で一五〇〇件)を達成した場合の額で、基準件数に達しなかった場合は、一件につき集金で七一円五〇銭、検針で四三円六〇銭の割合で減額され、逆に、基準件数を超えて処理した場合は、一件につき集金で七三円五〇銭、検針で四四円六〇銭の割合による手当が支給されることになっていた。そのほか、各集検事務職員ごとに設定された受持地区以外の応援集金・応援検針をした場合には、一件につき集金で七三円五〇銭、検針で四四円六〇銭の割合による手当が支給され(ちなみに、一般職員が応援で集検事務を処理しても手当が支給されることはない。)、また、昼間の集金又は検針が困難な地区における集検事務に対する手当や、検針事務に伴う連絡票の作成等の付帯業務に対する手当、更には、勤務成績に応じて支給される賞与など、各種の手当制度が設けられており、要するに、仕事をすればするほど収入が増加するようになっていた。なお、昭和五六年以降、賞与の計算基礎が順次増額されたほか、扶養手当及び住宅手当も支給されるようになった。

4  (債権者らに対する解職の意思表示等について)

(一) 昭和六〇年一一月一日時点において、債務者には、合計二三名の集検事務職員がいたところ、このうち集金事務のみの従事者七名と、集検事務兼務者二名(もと集金事務従事者)の合計九名は、これらの者と債務者の一般職員二六名とによって構成される高松市水道サービス公社労働組合(以下「公社労組」という。)に加入しており、一方、債権者小川及び同国村を含む検針事務のみの従事者一二名と、債権者谷本を含む集検事務兼務者二名(もと検針事務従事者)の合計一四名は、昭和五四年六月二九日にこれらの者によって結成された高松水道集検針労働組合(以下「集検針労組」という。)に加入していた。なお、債権者谷本は、集検針労組結成以来の執行委員長であり、債権者小川は、同労組結成以来の執行委員で、昭和六〇年七月三一日からは副執行委員長をしていた。

(二) ところで、債務者は、昭和六一年二月一四日に開催された昭和六〇年度第四回理事会において、集検事務職員との契約関係を請負契約関係に更改する旨の基本方針を決議し(なお、集検事務兼務職員については、いずれか一方の事務のみの請負とする旨をも同時に決議した。)、翌一五日、公社労組及び集検針労組の各代表者に対し、右決議内容を口頭で説明し、更に同月一九日、右両労組に対し、それぞれ呈示書を提示して団体交渉を求めた。

そのうち、公社労組に対する呈示書の記載内容は、次のとおりであった(原文は横書き)。

「集金業務に従事する者の身分及び取扱いについては、下記のとおりとする。

1 現行の身分については、昭和六一年三月一五日をもって解く。

2 昭和六一年三月一六日付で、請負契約者として契約書を締結する。

3 請負契約期間は一年間とする。

4 現在、検針業務を兼務している者の契約業務については、集金業務のみとする。

5 現行の身分の精算に伴い、財団法人高松市水道サービス公社退職手当支給規程第五条を準用し、退職金を支給する。」

一方、集検針労組に対する呈示書の記載内容は、右の公社労組に対するそれの冒頭部分に「集金業務」とあるのが「検針業務」に、また、記の2に「昭和六一年三月一六日」とあるのが「昭和六一年四月一日」に、同じく記の4に「検針業務を兼務」「集金業務のみ」とあるのが「集金業務を兼務」「検針業務のみ」に、それぞれ変わっているほかは、公社労組に対するものと同じであった。

(三) 公社労組と債務者は、右呈示書が提示された昭和六一年二月一九日、団体交渉を行い、公社労組がその呈示書の内容を全面的に受け入れることで即日合意した。そして、当時公社労組に所属していた集検事務職員八名(右(一)のとおり、昭和六〇年一一月一日時点では九名であったが、そのうち集金事務のみの従事者一名が昭和六一年二月一五日定年退職したため、八名となっていた。)は、同年三月一五日、債務者を円満退職するとともに、翌一六日、債務者との間で集金事務についての請負契約を締結して現在に至っている。

(四) 一方、集検針労組と債務者の団体交渉は、昭和六一年二月一九日、同月二五日及び同年三月六日の三回にわたって行われたが、集検針労組側は身分保障が欲しい旨主張し、合意に達するには至らなかった(なお、右の二回目の団体交渉において、債務者側は、前記呈示書の内容は通告ではなく、現時点では、これを一方的に実行することはできないと考えている旨表明した。)。ただ、右の三回目の団体交渉中、集検針労組の二名の執行委員は、債務者が提示した請負契約への移行案に同意するかのような発言をし、その後これに同調する者が増え、同月一四日の時点では、集検針労組所属の一四名の集検事務職員のうち、右の案に反対しているのは、債権者ら三名だけという状況となった。債務者は、同月一五日、債権者らを除く一一名のうち、それまでに個々的に合意に達していた六名に対し、退職辞令の交付を行う準備をしていたところ、右一一名は、同日午後五時ころ、集検針労組の臨時大会を開くということで連絡を取りあった上、債務者の事務所に集合したが、事前に右の連絡を受けていた債権者国村と、同債権者から連絡を受けた債権者谷本及び同債権者から連絡を受けた債権者小川も同事務所に駆けつけ、債権者らを除く一一名の中で中心になって動いていた溝渕精子執行委員との間で、執行委員長である債権者谷本が召集していないから臨時大会は開けないのではないかなどと押し問答となったが、結局、集検針労組を構成する一四名全員が集合したところで、同日午後五時二五分ころから「臨時大会」が開かれた。その席上で、結局、債権者谷本及び同小川は、それぞれ執行委員長及び副執行委員長を「解任」され、新三役が選任されるに至り、債権者ら三名は、「臨時大会」の途中で退席した。債権者らを除く一一名は、「臨時大会」を終えた後の同日午後七時ころから、その全員で債務者の常務理事であった竹内弘を主たる相手方として団体交渉を行い、一部要望事項は付帯していたものの、先に債務者が提示した呈示書の記載内容を集検針労組が受け入れることで妥結した。なお、その際、請負契約期間は一年であるが、特段の事情のない限り、六〇歳に達するまで更新されることが確認された。そして、右一一名は、直ちに円満退職願を提出し、これに対し債務者から退職を承認する旨の辞令が交付された。右一一名は、同年四月一日、債務者との間で、検針事務についての請負契約を締結して現在に至っている。

(五) 債務者は、右団体交渉直後の昭和六一年三月一五日午後一一時すぎころ、債権者小川に対し、集検針労組との団体交渉により請負契約への移行が決まったので同日付けで職を解く旨通告し、翌一六日には、債権者谷本及び同国村にも同旨の通告を行うとともに、債権者らに対し、同月一五日付けで職を解く旨の辞令と請負契約締結に必要な書類を交付し(ただし、債権者小川については、その夫に預けた。)、あわせて、同月二九日までに右書類の提出がない場合には請負契約締結の意思がないものと認める旨通告した(ただし、債権者小川については、同月一七日、その旨の通告書を内容証明郵便で送付した。)。しかし、債権者らから右書類は提出されず、債務者は、同年四月三日に退職金及び解雇予告手当を支給する旨債権者らに通知したが、債権者らが受け取りに来なかったので、翌四日、これらを高松法務局に供託した。

二1  債権者谷本及び同小川は、昭和四九年一月一日に、債権者国村は、昭和五三年八月一日に、それぞれ債務者との間で雇用契約を締結した旨主張し、債務者はこれを否認するところ、右一の認定事実によれば、債権者谷本及び同小川の関係では昭和四九年四月一日、債権者国村の関係では昭和五三年八月一日、それぞれ債務者との間で雇用契約関係が成立したものと解するのが相当である。

2  また、右一の認定事実によれば、債権者小川については昭和六一年三月一五日、債権者谷本及び同国村については同月一六日、それぞれ債務者から解雇の意思表示(以下「本件解雇」という。)がなされたものというべきである。

三  債務者は、本件解雇が、集検事務職員の解雇事由を定めた勤務規則一二条一項の二号(「公社の経営上、その他やむを得ない理由によるとき。」)に該当するものとしてなされた旨主張するので、以下右の解雇事由の存否について判断する(なお、本件解雇当時、勤務規則に右解雇事由の定めがあったことは、疎明資料によりこれを認めることができる。)。

疎明資料によれば、次の事実が認められる。

1  債務者の業務内容は、①集検事務を始めとする市水道局からの受託事業、②屋内修繕及び改良工事等の一般工事事業、③下水道工事に伴う給配水管移設業務等の高松市からの受託事業の三種に大別されるところ、債務者の全収入のうち約六五パーセントは、右①の市水道局からの受託事業によるもの(受託手数料)である(ちなみに、集検事務の受託による収入は、市水道局からの受託事業による収入全体の約四〇パーセントを占めている。)。

2(一)  債務者(会計年度、毎年四月一日から翌年三月三一日まで)の収支は、昭和四八年の設立以来、昭和四九年度に約五万円、昭和五一年度に約一四一万円の赤字であったほかは、昭和五七年度まで黒字(昭和四八年度は約四八万円、昭和五〇年度は約七万円、昭和五二年度ないし昭和五七年度は、それぞれ約六五八万円、一二四三万円、一一七八万円、六六一万円、一七一万円、二〇〇〇円)であったところ、昭和五八年度には約六九六万円、昭和五九年度には約四〇七万円の赤字となった。しかも、昭和五八・五九年度には、退職給与引当金の損金繰入(昭和五七年度実績額三四三万円余)を、また、昭和五九年度には、賞与引当金の損金繰入(昭和五七・五八年度実績額各一〇四五万円余)をしないで右の各赤字額となったもので、このように、債務者の経営状態は昭和五八年度以降急速に悪化していたところ、更に昭和六〇年度については、債務者が昭和六一年一月末日までの確定収支と同年二・三月分の収支見込みを基礎に推計したところによると、約二一三二万円の赤字(ただし、賞与引当金八〇〇万円と退職給与引当金七四四万円の損金繰入を前提としている。)が見込まれた。

(二) 右のように債務者の収支状況が悪化した原因の一つとしては、集検事務部門における赤字額が増加し、これを他の部門における利益で補えなくなったことがあげられる。すなわち、集検事務部門については少なくとも昭和五二年度以降赤字が続き、その額は、昭和五二年度ないし昭和五五年度はそれぞれ約三三三万円、七六万円、三〇万円、一〇九万円であったところ、昭和五六年度には約九一九万円、昭和五七年度には約一一八〇万円、昭和五八年度には約一四一二万円、昭和五九年度には約一八八九万円と増加し(なお、昭和五八・五九年度分については、賞与引当金及び退職給与引当金の損金繰入をせずに右の赤字額となったものである。ちなみに、昭和五五年度ないし昭和五七年度分における右損金繰入額は、いずれも六〇〇万円以上であった。)、更に昭和六〇年度については、約一五五三万円の赤字が見込まれる状況にあった。このような集検事務部門における赤字の発生は、いわば構造的なもので、例えば昭和五九年度についてみると、市水道局からの受託単価は、検針事務で七八円三〇銭(受託件数は五六万三四六七件)、集金事務で一四一円八〇銭(受託件数は二〇万三一八八件)であるのに対し、各事務について要する直接経費、すなわち、集検事務職員二三名の人件費、集検事務部門を担当する一般職員四名(ただし、昭和五九年六月からは三名)の人件費及び物件費の単価は、検針事務で八四円一八銭、集金事務で一六二円一七銭であったから、直接経費以外の一般管理費(昭和五九年度分実績で約一二五三万円)や、退職給与引当金等への繰入分を除いても、検針事務で三三一万円余((84.18円-78.3円)×563.467件=3,313,185.9円)、集金事務で四一三万円余((162.17円-141.8円)×203,188件=4,138,939.5円)の赤字が必然的に生ずるようになっていた(なお、集検事務職員に対する直接経費としての人件費の単価は、それだけで前記各受託単価の九三パーセント前後に達していた。)。こうした集検事務部門における構造的な赤字を、昭和五七年度までは他の部門における利益で補えていたのが、昭和五八年度からそれができなくなったことが前記収支状況悪化の一つの要因である。なお、債務者が昭和六〇年度途中に作成した財政収支計画によると、集検事務部門の体制が従来どおりであるとすると、昭和六一年度には約二七二八万円、昭和六二年度には約三五九九万円、昭和六三年度には約四一八九万円の赤字が集検事務部門単独で発生する見込みであった。

(三) もっとも、債務者の収支状況が悪化した原因は他にもあり、例えば、協助職員等負担金が昭和五七年度から大幅に増加したことも、その一つの原因としてあげられる。すなわち、債務者の昭和五五・五六年度の総収入額は、それぞれ約二億七二一九万円、二億七四〇八万円で、これに対する総支出金額は、それぞれ約二億六五五七万円、二億七二三七万円であるが(その結果、前記のとおり、それぞれ約六六一万円、一七一万円の黒字であった。)、その支出中、協助職員等負担金の額は、それぞれ一四万九〇〇〇円、八万七〇〇〇円にすぎなかったのに対し、昭和五七年度ないし昭和五九年度の総収入金額は、それぞれ約三億一三六五万円、三億一五四二万円、三億〇五二四万円で、これに対する総支出金額は、それぞれ約三億一三六五万円、三億二二三八万円、三億〇九三二万円であるが(その結果、前記のとおり、昭和五七年度は約二〇〇〇円の黒字、昭和五八・五九年度は、それぞれ約六九六万円、四〇七万円の赤字であった。)、その支出中、協助職員等負担金の額は、それぞれ約一六三九万円、一六一六万円、一五二七万円であった(この負担金の大部分は、高松市水道局から派遣される債務者の常務理事及び事務局長の給与であり、これは、昭和五六年度までは水道局の方が負担していたのに、昭和五七年度から債務者が負担することになったものである。)。

(四) 以上のような収支状況の悪化に対し、債務者としては、昭和五九年度以降、新規に坂出市の漏水調査業務を受託するなど、新収入の拡大に努める一方、各種合理化による経費節減に努めたが、昭和六〇年度の決算見込みとしても赤字は避け難く、将来の展望としても債務者全体として大幅な増収は望めない状況にあった(債務者が昭和六〇年度途中に作成した財政収支計画によると、昭和六一年度ないし昭和六三年度までの赤字額は、前記集検事務部門のそれを含め、合計約二億〇七〇〇万円に達する見込みであった。)。

3  債務者の経営状態が以上のように悪化してきたところから、高松市議会の決算審査特別委員会では、昭和六〇年一一月二〇日、同年一二月六日及び昭和六一年一月三一日の三回にわたり、昭和五九年度水道事業に関し、市水道局が債務者に支払っている委託料の審査という形で、債務者の経営改善問題が審議された。この審議の中で、集検事務職員の身分上の取り扱いが一つの大きな問題点として取り上げられ、具体的には、その待遇が一般職員並みになってきていることは問題であり、そもそもその勤務実態に照らすと、これを職員として扱うのは疑問であるということや、前記競輪従事員との兼職問題等が指摘され、結局、この問題点に関し、右決算審査特別委員会から、大要次のような要望事項の表明がなされた。

「公社がその設立以来果たしてきた役割は一応評価できるものの、議会が指摘したことを始めとする諸問題を内包していることは明らかであり、関係者の責任は非常に大きい。労働条件の改善に向けて労使双方が努力することは理解できるが、公社の業務内容・公共性等に照らし、社会通念から逸脱・突出したものとなることは許されない。現在の水道事業会計や、本市の行財政環境を考慮するとき、これらの問題を是正することは焦眉の急であり、特に、集検事務従事者の勤務形態等は、昭和六〇年度末までに、公社設立当時の状態に戻すよう強く要望する。」

4  債務者は、右のような市議会での審議経過をも踏まえて、昭和六一年一月二七日及び同年二月一四日、それぞれ昭和六〇年度第三回・第四回理事会を開き、その経営改善策について協議した結果、前記一4(二)のとおり、第四回理事会において、集検事務職員との契約関係を請負契約関係に更改する旨の基本方針を決議するに至ったものであるが、その方針が打ち出されるまでの経緯は、おおむね次のとおりであった。

すなわち、まず、右1、2のとおり、集検事務部門は、その債務者全体における収入の割合からも独立採算性が強く要求される部門であるにもかかわらず、収支の均衡が崩れているので、その経費を節減することにより、収支の均衡を保つようにする必要があることが確認された。次いで、集検事務職員の労働条件等に関し、その勤務の実態は前記一3のとおりであるにもかかわらず、その年収は、一般職員のそれと比較して高額であり(ちなみに、昭和六〇年一一・一二月分実績によると、集検事務職員の平均年収は、集金事務のみの従事者で約二一八万円、検針事務のみの従事者で約二四五万円、集検事務兼務者で約四一四万円であった。)、かつ、他市町における同種業務従事者と比較しても突出したものとなっていることや、その身分上の取り扱いが市議会で取り上げられて社会問題化したことから、現状を改善する必要があることが確認され、結局、右の集検事務部門の収支の均衡を保つ必要性の点からいっても、同部門における経費の大部分を占める集検事務職員に対する人件費を節減することが最も合理的な改善策であることが確認された。そして、その改善の具体的方策として、①従来どおりの「職員」としたままで、賃金カットや、賞与支給率の引き下げなどをする方法、②勤務条件等を一般職員と同じものとするという意味で正規の職員とする方法、③請負契約関係に改める方法が検討されたが、①については、集検針労組との過去の経緯等から考えて現実的でないとされ、②については、例えば、検針事務については毎月一日から一五日までが検針定例日とされているところから、休暇・休日等の場合の代替要員の確保が問題であるとともに、毎月一六日以降の業務を確保できないこと、集金事務については、口座振替制の普及により集金件数の減少が予想されるので、要員の設定が困難である一方、共働き等により休日・夜間の集金が増加することが予想されるので、労働基準法に抵触しない体制づくりが問題となることなど、種々の問題があり、かえって人件費が増大することにもなりかねないところから採用されず、結局、集検事務職員各人の収入額は減ることになっても、全員に従前どおりの仕事の場の確保を図るため、仕事の実態にもあった請負契約の形態に改めるという③の方法を採用することが最も合理的であり、かつ、経営状態悪化の状況にある債務者の運営上やむを得ないとの結論に達したものである。なお、債務者の試算によると、請負契約への移行により、集金事務職員で平均一一万円、検針事務職員で平均六七万円の減収になる見込みであった。

5  なお、債務者の昭和六〇年度の収支については、右2(一)のとおり、約二一三二万円の赤字となることが見込まれていたところ、その後の確定的決算では、赤字額は一〇八三万五〇七七円であった(ちなみに、集検事務部門単独では、一五五三万八六一四円の赤字であった。)。これは、右見込時点では賞与引当金を八〇〇万円と計上していたのを、公認会計士の指摘により四七一万円に訂正したことや、昭和六一年二月以降に受託工事の計画変更があって、収入が増えるとともに経費が減少し、合計で五五三万四〇四七円の欠損減があったことなどによるものである。ちなみに、集検事務職員二二名の退職・解雇による退職金支給(一部供託)総額は、二九一一万六三五〇円で、このうち退職給与引当金で処理された一六七〇万四七三〇円を除く一二四一万一六二〇円と、債権者らのために供託した解雇予告手当(六四万八七〇二円)との合計一三〇六万〇三二二円は、請負契約への移行という問題がなければ支出不要であったものであるが、その場合には、二二名分の退職給与引当金三七六万二八六一円と、賞与引当金七六〇万八二一〇円の合計一一三七万一〇七一円の計上が必要となるので、結局、一六八万九二五一円の支出減となるだけであり、これを昭和六〇年度決算にあてはめると、九一四万五八二六円の赤字ということになる。なお、債務者の昭和六一年度の収支については、その当初予算において三万円の黒字になるものとされている。

以上のとおり認められる。右認定事実に、前記一4で認定した事実を総合すると、債務者は、昭和六一年二月一四日、その経営上の危機を打開するための合理化の方策として、集検事務職員全員に対し請負契約への移行という形による任意退職を勧奨することを決定し、更に、遅くとも同年三月一五日までには、同日までに右任意退職に応じない者を解雇するとの方針を決定したところ、二二名の集検事務職員のうち一九名は任意退職に応じたが、債権者ら三名のみはこれに応じなかったため、本件解雇に至ったものと認められる。ところで、一般に、企業がその経営合理化のためにいかなる方策をとるかは、経営の自由の一環として使用者の裁量に委ねられているものである。すなわち、本来、企業には経営の自由があり、経営に関する危機を最終的に負担するのも企業であるから、企業が自己の責任において企業経営上の論理に基づいて合理化方策(解雇を含む。)をとる経営上の必要性の有無を判断するのは当然のことであり、また、その判断については、使用者に広範な裁量権があるというべきである。したがって、就業規則等において、従業員の解雇を「経営上やむを得ないとき」に限定している場合であっても、その条項は、当該企業の経営上の合理的判断によれば、解雇が必要であると認められるときは、解雇権が発生するとの趣旨を規定したものと解するのが相当である。なお、右の経営上の必要性の判断は、当該企業全体としての観点からなされる必要はなく、少なくとも合理化方策をとる必要があるか否か等の判断に関する限り、当該企業の各部門ごとの判断で足りるものというべきである。かかる見地から本件をみるに、前記一及び三における認定事実に照らすと、債務者がその集検事務部門を請負契約体制で処理することとしたことは、債務者の経営上の判断として十分合理的なものと考えられるところであり、その目的を達するために債務者が任意退職の勧奨に応じなかった債権者らを結局において解雇すべきものとしたのも、これに代わる次善の策を容易に想定しえない本件においては、その目的と手段ないし結果との間に均衡を欠くとはいえないと考えられる。したがって、本件解雇には、勤務規則一二条一項二号所定の解雇事由が存したものというべきである。

四  債権者らは、本件解雇が解雇権の濫用に該当する旨主張するので、以上この点について判断する。

1  債権者らは、本件解雇の真の目的が、次第に実力をつけてきた集検針労組を壊滅させることにあった旨を主張し、また、債務者がその経営改善のために他にとり得る手段方法があったにもかかわらず、十分な経営改善努力をすることもなく、ことさらに集検事務部門の経費節減のために請負契約体制に切り換えようとしたものである旨を主張するが、これらの点を肯認すべき疎明はない。むしろ、前記のとおり、債務者が右体制の切り換えを図ったことは、十分合理的なものと考えられる。なお、債務者が相当の経営改善努力をしていたことは、前記三2(四)で認定したとおりである。

2  次に、債権者らは、本件解雇に至る一連の過程において、債務者に信義に反するような行為等があった旨を主張する。確かに、前記認定事実によれば、債務者が、債権者らを含む集検事務職員全員につき、その債務者の職員としての身分を消滅させ、請負契約関係に改める旨の方針を決定したのは、昭和六一年二月一四日であるところ、その後同月一九日に債務者が右職員の所属する労働組合に対して提示したのは、同年三月一五日をもって右の身分を解くということであって、その方針の実施が集検事務職員に与える影響の重大性にかんがみると、やや性急との感を抱かせるところがないではない。しかも、疎明資料によれば、債務者は、集検針労組に対し、前記一4(二)で認定した呈示書の記の5に記載された退職金の支給に関して、請負契約への移行につき昭和六一年三月一五日までに合意した者に対しては一〇〇分の一五〇の支給率とするが、同日までに合意しない者に対しては一〇〇分の一二〇の支給率とすることを、その合理的理由も説明しないまま通告していたほか、同月六日までの集検針労組との団体交渉において、同労組側が、場合によっては賃金や諸手当が削減されてもよいから身分保障が欲しい旨主張したのに対し、債務者が前記方針をとるに至った経緯(前記三4のとおり)を詳細に説明して理解を求めることもせず、また、競輪従事員との兼職が問題とされていた集検事務職員につき、集検針労組側が同労組を通じて話し合うことを事前に求めたのに、これを拒否して、右兼職職員のみを呼びつけて債務者の前記方針に従うよう説得したこと等の事実が認められるところ、これらの事実に、債務者が前記方針をとるにつきその一つの大きな理由となった集検事務職員の人件費の高さの問題も、そもそもそれを決定してきたのが債務者自身にほかならないこと等を考え合わせると、本件解雇に至る一連の過程で債務者がとった行動は、やや強引にすぎた嫌いがあり、特に、債権者らに対しては、集検針労組に所属していた他の集検事務職員が前記方針に応じたからといって直ちに解雇するのではなく、もう少し説得を重ねて、その理解を求めるための努力を尽くして然るべきであったと思われる(なお、債権者らは、前記一4(四)で認定した昭和六一年三月一五日の集検針労組の「臨時大会」及び同日の同労組の組合員一一名と債務者との団体交渉が、債務者の常務理事であった竹内弘などの債務者幹部の不当な介入によって行われたものである旨を主張するが、疎明資料によれば、右一一名の中で中心になって動いていた溝渕精子執行委員が「臨時大会」の直前及び途中に竹内常務理事と話し合っていたことは認められるものの、これのみから債権者らの右主張事実を推認することはできず、他にこれを認めるに足りる疎明はない。)。

3  しかしながら、債務者が集検事務職員との契約関係を請負契約関係に改めるとの合理化方策をとるに至った経緯、特に、債務者の経営悪化状態と、その一因をなす集検事務部門における赤字発生状況、集検事務職員の勤務実態及び右合理化方策の具体的内容等を総合的に考慮すると、右2のような問題点があるとしても、このことから本件解雇が解雇権の濫用に当たると即断することはできない。

五  そうすると、債務者において特に即時解雇に固執する意思があったものとは認められない本件においては、遅くとも債務者が債権者らのために解雇予告手当を供託した昭和六一年四月四日をもって本件解雇の効力が生じたものというべきところ、これと異なり、同日以降も債務者の従業員としての地位を有することを前提とする本件仮処分申請は、いずれも理由がないことに帰し、事案の性質上、疎明に代わる保証を立てさせてこれを認容することは相当でない。

よって、債権者らの申請をいずれも却下することとし、申請費用の負担につき民訴法八九条、九三条を適用して、主文のとおり決定する。

(裁判長裁判官 渡邊貢 裁判官 水島和男 小田幸生)

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